今年35歳になる私の娘、ブラジルで一緒に生活をしていた「お母さん、小学校は日本の小学校に行きたい」
この一言でブラジルから日本行きの飛行機に乗った。
30年位前12月24日クリスマスイブ、飛行機は子供たちにとって至れり尽くせり、
クリスマスプレゼント、子供向けの映画が24時間のフライトの中であとからあとから客席に届く。
バリグ ブラジル航空、今までに日本に帰るこの日が、一番楽しい思い出に残るフライトだった。
ブラジル人がすべての子供たちを、自分の子供のように可愛がる習性のあらわれのような 気がする
久しぶりの日本での生活に期待と不安でいっぱいだったと思う
日本の家に着いてからは質問攻めが続いたのを覚えている
家の外に出るとたまたま降ってきた雪、凍り付いている水たまり、家の中に入るとこたつ、ストーブ、暖かそうな布団、見るものすべてがこれ何?
名前はなんて言うの?どうして使うの? あとからあとから質問攻めの連発だった。
楽しそうに、嬉しそうに話すそんな子供たちを見ていると、日本に帰れたことに心の底から感謝した。
今はただそんなことも懐かしい。
子供たちも帰国子女として学校に行き始め、そんな 子供たちを毎朝学校に出してから日本での生活の基盤を作るため、
ブラジルから持ってきた半貴石のルースを販売する、
いろいろ売り歩いた新宿、御徒町,上野、蕨、当時はまだ海外からきている業者は少なく、
日本語を話せるバイヤーも数少なかった。当然日本人である私は日本語が堪能、話が信用できる、
それら諸々が気に入られ販売先を少しずつ増やしていった、
子供たちと安定した生活を徐々に築くことができていった。
お局さんの日本での石に携わった生活の始まりで~す
いつどこで撮ったのかな?(笑)
ゆーかが5歳の時かな?