【何も起こらない幸せを感じて】
なぜか最近、昔のことを 思い出す。長い人生の中でいろいろあったけれど、最高な経験をしたって思ったことを話そうと思う。
ブラジルでエメラルド鉱山に入った。きっと女性では世界中で誰も経験していないだろう。
『こんなところから宝石が・・・・』
始めて鉱山を見た私は、思わずため息をついた。
あのきれいな宝石からは思いもよらない。 何もない空き地のところどころに、屋根だけの建物がちらほら見える。粗末な建物の中に約2メートル四方の縦穴が無造作に空いている。いくつもいくつも。みな同じだ。それが鉱山口だと聞かされる。
ここだけを見ているこの景色は、想像を絶するものがある。
ギラギラ光る太陽を受けて、黒光りする裸の男たちの目が野獣のように光る。
目と目がぶつかる。まるで衣服の上から、裸の身体を見透かされているような錯覚に陥る。これが鉱夫達の世界なのか。
ウインチの作動員と、立ち話をしていた黒人系のコントローラーが、鉱山口を真下にこわごわ覗き込んている私を見つけ、近づきながら話しかける。
どうやら鉱山の中に入るかどうかの確認のようだ。
しばらく考えていたが、怖いもの見たさで覚悟を決めた。そして勧められるままに鉱山の中に入ることにした。
たった一本のワイヤーで体に命綱をかける。
ブランコに乗るようにワイヤーにぶら下がった。後悔の念が脳裏に走る。だがもう後戻りはできない。私の心を見透かしたように、ロープは少しずつ少しずつゆっくりと降りていく。突然冷たい何かが体に触れた。それがただの水だと分かったとき、なぜかほっとしていた。
そっと見上げると、小さな四角い光が少しずつ遠のいていく。そして消えてしまった。頭の中が真っ白になって、長い時間がたったように思えた。
ひんやりとした穴の中。 思ったより中は広々としている。裸電球の光が私を迎えてくれた。
ここは地下95メートル、立ち膝で作業をしていた6人の鉱夫達も、それぞれに立ち上がって私のそばに近寄ってくる。鉱山の外で見た男たちと同じように、肌は水と汗で真っ黒に照り輝いている。ただ違っていたのは、意外なほど暖かい目で私を迎えてくれた事だ。
鉱山に降りるという行為をした私を、多分仲間として認めてくれたように思えた。
『ムイトプラゼール』初めまして、となるべく大きな声で元気よく、ひとり一人に握手を求めながら、挨拶をしていく。なんとなくご機嫌なひと時だ。
冷たい周りはすべて岩石、本当に求めているシスト(土砂)がとれるところは、まだここから40メートルおくだそうだ。ここから先は人間が一人やっと通れるくらいの広さしかないように思えた。さすがの私もこれ以上奥に行く勇気など、とてもおきない。なぜか膝から震えがきて、止めようと思っても止まらない
岩石をダイナマイトで爆発させ、カッサンバという革でできた袋に土砂に入れ、ウインチでつりあげるのだ。今降りてきた同じウインチだ。身震いがする。
物音ひとつしない静まりかえる静けさの中で、岩石をじっと見つめているとエメラルドの宝石たちが「早く出してくれ」まるで私に叫びかけているようだ。緊張はしていても顔だけはほころんできた。
ひんやりとしたこの静けさは、なぜか母親の体内のように思える。
そして胎児のように・・・ 生まれ出る赤子のように・・・ このエメラルド達のドラマがここから始るのか
鉱夫達の笑い声でフッと我に返った。そろそろ引き上げたた。地上のウインチ係に拡声器で引き揚げを知らせる。見送る鉱夫達にお礼を述べロープにつかまった。鉄パイプをたたく、合図だ。その瞬間、私の体が宙に浮く。あとはただ一秒も早く外に出たい。
「早く早く引き上げてくれ」ぶつぶつ言いながら祈った。
目の前に太陽の光が輝く。誰もが当然のように何も言わないのに
地上の私は年甲斐もなく、はしゃいでしまった。
何も起こらないということが、こんなにも素晴らしいことだったとは・・・
私のブログの中で何も起こらない事の幸せという言葉がたびたび出てくる。この言葉の原点は40数年前にエメラルド鉱山に入ったときに思ったことだったことに、いまさらながら気が付くお局さんでした。